抱きしめて、神様!

奇跡講座の話とかします。絵も描きます。

上から目線だよ!

さっきの話は、

 

やっぱりひとつの電話が閉館時間を

カンチガイしてたらしく

 

閉館1時間前、、に行ったら

 

借りてるのがもう一冊あると、、

 

むーん、、( ´Д`)

 

というわけで帰ったら

 

荷物の件でまーた親が電話を取ったらしい。

 

むーん、、、、o(`ω´ )o

 

なんだか

 

量子学では「ひとつの観察意識」が

 

「超高速ひとり芝居」をしてると聞いたことがあって

 

だからみんな自分自身だという話があるけど

 

これがわたしの「ひとり芝居」だったら

 

絶対意地悪o(`ω´ )oだろ!!

 

いい加減にしろーっっ!!

 

とにかく、ヤマトは直通電話がなく

 

問い合わせから、折り返しじゃないと担当センターから電話ができないらしく

 

電話待ち、、

 

さっき、借りたい本があったのに!

 

バカバカ!!

 

あと30分で閉まっちゃう、、

 

駄目元で「ありがとう、愛してる」を

つぶやいてみる。

 

45分に電話が来た!

 

さっきの声とは打って変わって、明るく親切そうな声だった。

 

話し合いをして、電話を切ると

 

急いで図書館に行けば間に合う時間だった。

 

ラッキー!!

 

駆け込んで借りる。

 

さっき、閉館前に返しに行ったら

 

どのみち一冊忘れていたから

 

今日はペナルティで借りれなかっただろう。

 

ムカあっとしたが

 

あれはひょっとして聖霊だったのかも、、

 

だって、今まで一回も、1日二回も電話来たことないもん、、

 

ありがとう愛してるも続けようっと、、笑

 

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セドナメソッドは聞いたことはあるけど

 

やったことはない。

 

初めてあるのを知った。面白そうだ。

 

最近フランスも気になる。

 

(そもそも森茉莉読んだ頃から憧れてはいたが、あれはあくまで1910年あたりのフランスだ)

 

フランスに行くことになるんだろうか、、?

 

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みんなすごくおしゃれ。

 

フランス、フランス、

 

フランスかぶれという言葉があるように

 

日本って昔からヨーロッパが大好きだ。

 

(ドイツかぶれという言葉はないが、多分、ドイツはかぶれるというより 勉強が好きな人が行く国な気がする。)

 

ハイカラさん、洋行、洋食、、 

 

尊敬し、時に排除しながらも

 

そのエッセンスを貪欲に飲み込んで来た気がする。

 

なんでこんなにフランス人って粋なのかな?と思うと

 

まず、みんな背筋がシャッキリしてる。

 

恥ずかしがらず、ニッコリと親しげに笑う。

 

腹のなかで、「わたしには、たりない」「どうしてわたしばっかり。」

と考えていそうな、グズグズを感じない。

 

「わたしはーーというブランドをつけてるざます。」「この靴はーよ。」とマジックで書いているようなところがない。

 

高いものかやすいものかわからないが、

 

なんでも部屋の感じのいい椅子にきっとそのままかけてあり、それを、さっとはらって取って来たように気さくにきている。

 

日本のそういうピカピカなお洋服に、

恋人と話していようが、泥がついたり、何か食べ物を溢そうものなら「ギャッ」と醜い声か、醜いシワを口元に刻み、

跳ねあがりそうだ。

 

 

要するに、ヨーロッパ人は、リラックスしていて懐っこいのだ。

 

 

 

太陽のようにカラッとしている。

 

批判を恐れずいうが、ニュースで延々と「若くして亡くなった」カワイソウと叫ぶ人は、ほんとうにかの家族たちをカワイソウと思っているのだろうか?

 

自分が、宝物のように大事にしている友達にも、同じように接するだろうか?

 

嗅ぎ薬でも嗅いだみたいに、微に入り再に入りなんでも放映し、その度にカワイソーっとテレビの前で叫び、かみ終わらないガムみたいに泣きはらした夫の様子を朝から晩まで流すことが

ほんとうの優しさなのだろうか?

 

その奥に底知れない寒々しいもの、

 

宝物なんかない、

 

愛してるものなんかない、

 

金だけが大事だ、

 

そういうものをみてカワイソーっと叫び、自分はアタタカイ心を持つヤサシイものなのだと、チラチラと確認しているだけな気がする。

 

自分だけが大事なのだが、それだけは隠したい、という あたりを平原する

 

卑しい心のギョロ目が見えるのだ。

 

誤解のないように言うが、

 

病の中でもみせた、

彼女の優しく清い心は本物であったと思うし、

 

家族たちの思いもあのまま真実であろう。

 

しかし、

 

「恩」「義理」「ニンジョーッ」「タタカイーッ」などの

 

マタタビでも食ったのか、というような

 

重苦しい、暑苦しいヒステリーのようなものが

 

日本のひとの暮らしを、暗くしている気がするのだ。

 

日雇いの日給をはるかにこえる額の洋服も

 

雨な日に履けないと思う

ほどの繊細な靴も

 

人形もかくやというほどの 緻密な麗しい化粧も

 

それらが縁取る心がマタタビヒステリーか

 

ぐちゃぐちゃの邪念や

 

「早くこんなツマラネエ仕事なんて終わらしたい ああーっ」と

 

帰るなり服を脱ぎ散らかして

 

だらしなくソファかカーペットに伸びそうな

 

退屈の獣がぐるぐる言ってそうな

 

おマネキンみたいな虚しい心が染み出してるようでは

 

さみしい限りの風景である。

 

フランスの人は、「わたしは、今 フランスの大地を歩き、パンを買い、歌を歌い、生きている」と言っているような

 

朗らかさがある。

 

何をしていてもそういう朗らかさがある。

 

太っているひとや 貧しい身なりの人を心の中で蔑み

 

流行りだからと 自分に合わない化粧をしてるからどこか パーツだけが動いているようで

 

そのくせ不安にまみれて歩くのは

 

楽しいのだろうか。

 

これほどまでに恵まれた国で生きながら

 

まるで心は置き去りの老人である。

 

恋がしたいのではなく

 

恋をした時のように、楽しい気分で生きたくはないのだろうか?

 

別に男を切らしたくないならそれでも構わない。

 

それはそれとして、今日も生きている、という朗らかな気分になれないものだろうか。

 

コーヒーを切らすように、恋が切れる日もあるだろう。

 

それでも、浮き足立って、「この世とはなんと楽しいのか」と

 

茉莉さんのように生きたい。

 

茉莉とはジャスミンのことだ。

 

「ジョイ」が、ジャスミンとローズ、

わずかなオーキッドによるブレンドなことは

 

偶然なのだろうか?

 

鴎外とは、ジャンパトゥのように

 

ものすごい直感をもった男の人だったのかもしれない。

 

繰り返していうが、

 

わたしはかの家族たちの批判をする気など全くないし、

 

幸せを願っている。

 

仮にあの子達がわたしの近所に住んでいたら、

 

不器用なわたしなりに気遣うだろう。

 

ただ、

 

今回まわりかかいま見せたヒステリーのような 暑苦しい「アイジョー」ってやつの 嘘の匂いが

 

好きではないし、これからも好きにはならないだろう。

 

 

 

 

 

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 何を言ってるんだ翼、、、