抱きしめて、神様!

奇跡講座の話とかします。絵も描きます。

イラッ!をゆるす

DVDを借りていたのだけれど

 

どうやら1週間延滞してたみたいで、

 

なぜか

 

近所の区役所と

 

中央のセンターから、

 

最初の電話が来て

 

どういうわけか電話がまた4時間後に来て、、となって

 

両方親がとってしまったので

 

めっちゃキレてきた。

 

母はこういうのが大嫌いなのである。

 

「早く返しなさい!正しいのはどっち!?」とヒステリーを起こす母に

 

「自分がイヤなだけでしょ」とキレるわたし、、

 

そう、母は昔から「恥をかくこと」が大嫌いで

「正しいこと」が大好きなので

 

「正しさ」を守らない人を見ると

 

強烈に攻撃してくる。

 

母も2回かけてくる図書館のマヌケもマジで死んだらいいのに、、

 

だいたいメールもすっとばして

 

なんで2回かけてくるんだ、、?

 

バカじゃないのか、、

 

多分情報を連携してなくて、連絡済みということがうまく伝わってなかったのだろう、、

 

こういういろんな思考や

 

強烈な殺意をゆだねていく。

 

ただ、過ぎるにまかせる。

 

「こんなことを考えちゃダメだ」と抑えると逆効果なのだ。

 

そうしているうちに

 

「自分の安らぎを攻撃したい」という

 

「わたし自身」の激しい不安を感じた。

 

母の激しい不安はわたしの不安でもあったのだ、、

 

安らぎがすぐぶち壊される

 

わたしに安らぎなどないんだ、、

 

そういう呪いのような思考をゆだねていく。

 

そうしてるうちに平静な気持ちになってきた。

 

しかし、

 

他人にウンコを投げてすっきりする

他責型の母と

 

ひたすらウンコをためる自責型のわたしだと

 

だいぶ違うんだなーと思う。

 

というか、

 

自責型といえどこうして「他人にウンコ投げつけさせる」という

 

隠れた「他責」があるし

 

他責型も、よおおく聞くと、自分を攻撃する言葉が多い。

 

自分への見えない攻撃に反撃する形でウンコを投げるのかもしれない。

 

結局どちらも、殺意の表れにすぎない。

 

両方一緒なのだ。

 

そうしているうちに

 

なんだか、エゴが小さな子供に見えて来て

 

ギャンギャンうるさい母も

 

図書館の人も

 

なんだか幼稚園の子がしていることのような気がして、ゆるしてしまえる気になって来た、、

 

なにこれ不思議、、

 

とにかく、図書館に行ってくる。