抱きしめて、神様!

奇跡講座の話とかします。絵も描きます。

ふと思ったけど、

 

前世で愛しい家族で

 

「生まれ変わっても、絶対に愛するわ!」と誓っても

 

今世で、1番醜い敵同士になったりすれば、憎み合う。

 

狂ってる、、、

 

自分は重度の記憶の解離を起こしていて、

 

たとえば自分のこどもだった人にも

 

時と記憶が変わり

 

違う姿形の敵になれば「死ね!」と言える。

 

同じ家族なのに、、

 

この輪廻を早回ししたら、

 

まるで狂人の館だ。

 

 こうしてみると

 

自分って、何にもわかってない。

 

目の前の人が誰だったかも覚えてないし

 

明日のこともわからない。

 

その人が何を考え感じてその行動を取ったのかもわかってないし

 

なのに、自分は理性的だと信じて、コントロールしようとする。

 

今日、ミントをぼんやり見ていたら

 

上下にスウッと動き出してめっちゃビックリした。

 

で、気づいた。

 

両目の画像を重ねて、映像を見せてるのだと、、、

 

おいおい、今見えてるもの、全然、確かじゃねーじゃん!

 

なんつーの?合成じゃん!

 

目からの画像も合成

 

耳が聞き取れる周波数はめちゃくちゃ一握り

 

これってなんなんだろう。不思議。

 

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こんな感じにも似てた。

 

この文字も、映画ではピコピコ動いてたなあ。

 

じゃあ、

 

わたしって誰だろう?

 

あの人は誰なんだろう?

 

ほんとに存在するのかな?

 

と考えたら、

 

なんと、

 

わたしはいない!あの人もいない!

 

 

いきなり、臨界点から

 

至福が、頭頂から何かを注がれたようにバアァーっ!と

 

胸のあたりまで降りて来て

 

とてつもなく幸せな気持ちになった。

 

キリスト教の「聖油」とか、仏教の「甘茶」とかって、

 

このことを表現してたんじゃないのか?

 

ひょっとして、、、

 

素晴らしい体験で、車で事故らなくてよかった笑

 

運転中だったのだ、、

 

そして、あれがいわゆる ノンデュアリティ、「わたしはいない」「I AM」なのではないかと思う。

 

そういや、向かいから「I AM」ってシャツ着た子が歩いてきたな、、、笑

 

大和田菜穂さんの本をなぜか手に取ったのも、聖霊の導きなのかもしれない、、

 

ていうか、

 

気づいたけど、

 

自我を取り消すのに

 

「わたしが取り消す」って、自我ありきで取り消したら、いつまでたっても 「わたし」は 取り消せないじゃん、、((๑╹ω╹๑ )笑

 

「わたし」こそが、取り消されるものなのに、、

 

「わたしはいない!」から始めたほうが、はるかにやりやすい。

 

それでも心配ないらしい。

 

わたしではなく、聖霊が取り消すのだ。

 

わたしは、その決断を心からするだけでいい。

 

ほんとうにそれだけでいい。

 

そうしたら、聖霊がバッチリ導いてくれる。

 

極端な環境でも導かれたことで、今回、すごく信頼が深まった。

 

神の教師は、こうやって一歩一歩、わたしたちの手を取って着実に導き、歩いてくれるのだ。