抱きしめて、神様!

奇跡講座の話とかします。絵も描きます。

循環の意味。1

 

 

わたしがしょっちゅう行くアリオに

 

唐揚げ屋さんがあります。

 

あ、ちがった、焼き鳥屋だ笑

 

なぜなら唐揚げチョー美味いから。

 

んでね?試食があるんだけど

 

デカイんですよ。

 

一個なんです。

 

一個。

 

一個。

 

試食とは??🤔

 

笑笑

 

とにかく一口じゃ食えねーし!笑

 

でも、最近毎回その超デカイ試食を食ってたんですが

 

今日日曜のせいか

 

試食やってなくて。

 

で、ザンギ食べたかったので買いました。

 

そしたら

 

 

いつも試食してるザンギと

 

このザンギに違いはない。

 

 

ちょっと図解してみる。

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あれ?まわる、、

 

まあいいや。

 

一方向なのよ。

 

今まで与えられるだけだったのね。

 

それが

 

今回お金を出した。

 

ただし

 

貰ってるものは変わらないのよ。

 

つまり

 

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循環が起きた。

 

わたしは、循環て金額にあまり関係ないと思ってる。

 

なぜならエネルギー、

 

キュン❤️

て感じ。

エクスタシィ。

 

そんな「歓び」「ジョイ」って感じのもの。

 

それを出すのよ!!

 

で、

 

出すとそのあと、よくわかんないけど

 

もらう。笑

 

今日はレモネード用の、美味しくて高い無印のレモン汁を買ってもらえることに!

 

ヒャッホー!!!

 

でもさ「レモン汁買ってもらうZE!」って目をらんらんとさして買うわけじゃないのよ。笑

 

ていうかそこまで予想できないから!笑

 

ただ「今ザンギ食べたいし、お金あるから払う」に従ったら

 

振り返ったら「循環」してたのね。

 

だから、、

 

払ってもらうって、相手への贈り物なのよー!!

 

知らなかった!

 

知らなかったっしょ!??

 

わたしも知らなかった!笑www

 

みんな知ってたのかよー、、教えてよー、、/(^o^)\(言うとったがや!笑)

 

でさー、

 

ここのお店は、試食用とかだから 味ランク下げるぜ、、とか

 

してないと思う。うまいから。笑

 

で、買ったのもやっぱ美味かった。笑

 

つまり手加減してないんだよね。

 

与えるとき。

 

一口のが一個になったからスゲーびびったもん笑笑笑

 

でもさ、、だからって

 

「申し訳ないから買うわ」って言うのは、、やらなかった。

 

だって、、

 

エネルギー腐る。ヽ(・∀・)

 

罪悪感をやる気かテメーは、、

 

ああん?

 

て、感じだもんな、、笑

 

だから、すごい食いしん坊を発揮して、ずっと、買う気が出るまで試食食べた。

 

いやしんぼ!笑

 

んで、、なんか、今日、タイミング合ったから買った。

 

で、よかった。わかったから。

 

循環が。 

 

 

なんかね、

 

「今日から有料です」って言われて

 

「奪われる!」って感じる時は

 

今まで、与えられてきたものを数えてみるといいと思う。

 

与えられるものは変わらない。

与えられるものは変わらない。

与えられるものは変わらない。  

与えられるものは変わらない。
与えられるものは変わらない。
与えられるものは変わらない。

与えられるものは変わらない。
与えられるものは変わらない。
与えられるものは変わらない。

 

て感じ。笑

 

ていうか、

 

最初から「全出し」してくれてたんだよね。

 

ずっと、好意でうまいザンギを食わせてくれて

 

それから、ザンギは売られるようになった。

 

その時お金があるなら

 

わたしはザンギを買うと思う。

 

その時なければまたタイミングを待つだろう。

 

こうしてみると

 

「もっと仲良くなりたい!」という切なる想いは実は

 

「ザンギ試食だけし続けたい!」

「与えられ続けたい!」

 

という想いを潜めている。

 

だからこそ、

 

それが叶わない(例えばこちらを向いてくれないと感じたとか)と

 

動揺するのだ。

 

何か、ひたすらに「与えられている、愛されている」という体感を感じられれば

 

それは和らぐ。

 

要は愛を受け取る練習をするといいかと思う。

 

ひたすら試食をもらうとか(おい)

 

わたし毎日!?ってくらい カルディの試飲コーヒーもらうけど、、

 

すげーありがたいなと思う(*´ω`*)

 

で、やっぱ ジュピターより カルディで買う。笑

 

カルディ素敵だし。

 

満たされないうちに与えても

 

 、、、

 

それは、「奪う」を無意識に潜めた、

取引としての「与える」だからさー、、ヽ(;▽;)

 

エネルギー足りない。笑

 

マイナス。笑

 

あと、罪悪感もエネルギー漏れ起こす。

 

罪悪感は、

 

船底に空いた穴みたいなもの。

 

沈む、、笑

 

罪悪感てのはね、

 

神に逆らって意見するってこと。

 

神は神に逆らったからって罰しはしないけど、、

 

自分のほうは、神に逆らうと

 

神を見失ってしまうんだ。

 

神はすがたかたちじゃない、

「想念」だからね。

 

そして宇宙の永遠のエネルギー。

 

罪悪感を持てば、つまり

 

そのエネルギーをそのまま失ってしまう。

 

実は存在はすべて神に依存してるからだ。

 

でもそんなこと忘れたい自我は、

 

なんとしても「自立」しているという妄想を抱く。

 

その時、エネルギーの交換、、つまり

「親交(コミュニケーション)」は

 

阻まれてしまう。

 

さて。

 

「もっと仲良くなりたい」は

 

コミュニケーションの自然な欲求だ。

 

ただし、

 

そこに

 

「足りない、足りない、もっと欲しい」

 

という

 

「罪悪感」はないだろうか?

 

ほんとうは、ザンギの試食のように

 

もうずっと与えられていた」

 

のに

 

それをすっかり忘れていないだろうか?

 

そして

 

自分が

 

相手を、意地悪で金に汚いケチが

 

手のひらを返したと

 

腹のなかで歪んだ目で見てないか?

 

与えられていたことを忘れた

 

意地悪で、金に汚いケチは

 

自分ではないのか?

 

与えられていたことを思い、

 

その時対価が払えるのなら、払って

 

また与えられればいいのだ。

 

そういう心でものごとをありのまま見る時

 

与えることは贈り物そのものだと気づくだろう。

 

それが奇跡なのだ。

 

その心の変化こそが、奇跡、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無限の勇気

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ニヘイゴハンッッッ!!

 

心臓焼きました!て思うのはわたしだけか、、笑

 

つーか熊あどけない、、めっちゃ怖いのにコイツ、、キムんカムイ、、、

 

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イセタポ!

 

さすがに肉以外は、チタタプじゃなくてフォン(野菜と漬けてから炒める)になってた、、

 

ゴールデンカムイ!!と思って借りたので

 

相当入れ込んでる、、笑笑笑

 

一応、公式でもジビエって言ってるからね。ジビエ!笑

 

ゴールデンカムイの展示がチカホであったときに

 

アイヌの武器を見たけど

 

携帯用だからか、めっちゃちいさ、、

 

小さっ!!

 

マジ、アレと毒矢と小刀で

 

ヒグマと闘うとか、

 

アイヌ、度胸ハンパない。

 

デッドオアアライブどころじゃないって。

 

デッドオアデッドの中のわずかな一瞬のアライブだよ!!!

 

ほんと昔の人ってスゴイ。勇気の塊。

 

前に、北菓楼になった石造りのお屋敷に入ったことあるけど、

 

かがまないと手がつかないくらい、手すりが低いのに(背が小さかったんだね)

 

天井はすごく高かった。

 

きっと、志が高かったんだなと思う。

 

希望を抱いて、ああいうたかーい天井を、作ったんだろうなー、と感じたのだ。

 

なんか、

 

千と千尋みたいなもので、

 

今も誰もが

 

出しどころがないだけで

 

こういう無限の勇気を持ってるんだろうな、と思う。

 

なんとなく書いといた。

 

 

 

上から目線だよ!

さっきの話は、

 

やっぱりひとつの電話が閉館時間を

カンチガイしてたらしく

 

閉館1時間前、、に行ったら

 

借りてるのがもう一冊あると、、

 

むーん、、( ´Д`)

 

というわけで帰ったら

 

荷物の件でまーた親が電話を取ったらしい。

 

むーん、、、、o(`ω´ )o

 

なんだか

 

量子学では「ひとつの観察意識」が

 

「超高速ひとり芝居」をしてると聞いたことがあって

 

だからみんな自分自身だという話があるけど

 

これがわたしの「ひとり芝居」だったら

 

絶対意地悪o(`ω´ )oだろ!!

 

いい加減にしろーっっ!!

 

とにかく、ヤマトは直通電話がなく

 

問い合わせから、折り返しじゃないと担当センターから電話ができないらしく

 

電話待ち、、

 

さっき、借りたい本があったのに!

 

バカバカ!!

 

あと30分で閉まっちゃう、、

 

駄目元で「ありがとう、愛してる」を

つぶやいてみる。

 

45分に電話が来た!

 

さっきの声とは打って変わって、明るく親切そうな声だった。

 

話し合いをして、電話を切ると

 

急いで図書館に行けば間に合う時間だった。

 

ラッキー!!

 

駆け込んで借りる。

 

さっき、閉館前に返しに行ったら

 

どのみち一冊忘れていたから

 

今日はペナルティで借りれなかっただろう。

 

ムカあっとしたが

 

あれはひょっとして聖霊だったのかも、、

 

だって、今まで一回も、1日二回も電話来たことないもん、、

 

ありがとう愛してるも続けようっと、、笑

 

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セドナメソッドは聞いたことはあるけど

 

やったことはない。

 

初めてあるのを知った。面白そうだ。

 

最近フランスも気になる。

 

(そもそも森茉莉読んだ頃から憧れてはいたが、あれはあくまで1910年あたりのフランスだ)

 

フランスに行くことになるんだろうか、、?

 

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みんなすごくおしゃれ。

 

フランス、フランス、

 

フランスかぶれという言葉があるように

 

日本って昔からヨーロッパが大好きだ。

 

(ドイツかぶれという言葉はないが、多分、ドイツはかぶれるというより 勉強が好きな人が行く国な気がする。)

 

ハイカラさん、洋行、洋食、、 

 

尊敬し、時に排除しながらも

 

そのエッセンスを貪欲に飲み込んで来た気がする。

 

なんでこんなにフランス人って粋なのかな?と思うと

 

まず、みんな背筋がシャッキリしてる。

 

恥ずかしがらず、ニッコリと親しげに笑う。

 

腹のなかで、「わたしには、たりない」「どうしてわたしばっかり。」

と考えていそうな、グズグズを感じない。

 

「わたしはーーというブランドをつけてるざます。」「この靴はーよ。」とマジックで書いているようなところがない。

 

高いものかやすいものかわからないが、

 

なんでも部屋の感じのいい椅子にきっとそのままかけてあり、それを、さっとはらって取って来たように気さくにきている。

 

日本のそういうピカピカなお洋服に、

恋人と話していようが、泥がついたり、何か食べ物を溢そうものなら「ギャッ」と醜い声か、醜いシワを口元に刻み、

跳ねあがりそうだ。

 

 

要するに、ヨーロッパ人は、リラックスしていて懐っこいのだ。

 

 

 

太陽のようにカラッとしている。

 

批判を恐れずいうが、ニュースで延々と「若くして亡くなった」カワイソウと叫ぶ人は、ほんとうにかの家族たちをカワイソウと思っているのだろうか?

 

自分が、宝物のように大事にしている友達にも、同じように接するだろうか?

 

嗅ぎ薬でも嗅いだみたいに、微に入り再に入りなんでも放映し、その度にカワイソーっとテレビの前で叫び、かみ終わらないガムみたいに泣きはらした夫の様子を朝から晩まで流すことが

ほんとうの優しさなのだろうか?

 

その奥に底知れない寒々しいもの、

 

宝物なんかない、

 

愛してるものなんかない、

 

金だけが大事だ、

 

そういうものをみてカワイソーっと叫び、自分はアタタカイ心を持つヤサシイものなのだと、チラチラと確認しているだけな気がする。

 

自分だけが大事なのだが、それだけは隠したい、という あたりを平原する

 

卑しい心のギョロ目が見えるのだ。

 

誤解のないように言うが、

 

病の中でもみせた、

彼女の優しく清い心は本物であったと思うし、

 

家族たちの思いもあのまま真実であろう。

 

しかし、

 

「恩」「義理」「ニンジョーッ」「タタカイーッ」などの

 

マタタビでも食ったのか、というような

 

重苦しい、暑苦しいヒステリーのようなものが

 

日本のひとの暮らしを、暗くしている気がするのだ。

 

日雇いの日給をはるかにこえる額の洋服も

 

雨な日に履けないと思う

ほどの繊細な靴も

 

人形もかくやというほどの 緻密な麗しい化粧も

 

それらが縁取る心がマタタビヒステリーか

 

ぐちゃぐちゃの邪念や

 

「早くこんなツマラネエ仕事なんて終わらしたい ああーっ」と

 

帰るなり服を脱ぎ散らかして

 

だらしなくソファかカーペットに伸びそうな

 

退屈の獣がぐるぐる言ってそうな

 

おマネキンみたいな虚しい心が染み出してるようでは

 

さみしい限りの風景である。

 

フランスの人は、「わたしは、今 フランスの大地を歩き、パンを買い、歌を歌い、生きている」と言っているような

 

朗らかさがある。

 

何をしていてもそういう朗らかさがある。

 

太っているひとや 貧しい身なりの人を心の中で蔑み

 

流行りだからと 自分に合わない化粧をしてるからどこか パーツだけが動いているようで

 

そのくせ不安にまみれて歩くのは

 

楽しいのだろうか。

 

これほどまでに恵まれた国で生きながら

 

まるで心は置き去りの老人である。

 

恋がしたいのではなく

 

恋をした時のように、楽しい気分で生きたくはないのだろうか?

 

別に男を切らしたくないならそれでも構わない。

 

それはそれとして、今日も生きている、という朗らかな気分になれないものだろうか。

 

コーヒーを切らすように、恋が切れる日もあるだろう。

 

それでも、浮き足立って、「この世とはなんと楽しいのか」と

 

茉莉さんのように生きたい。

 

茉莉とはジャスミンのことだ。

 

「ジョイ」が、ジャスミンとローズ、

わずかなオーキッドによるブレンドなことは

 

偶然なのだろうか?

 

鴎外とは、ジャンパトゥのように

 

ものすごい直感をもった男の人だったのかもしれない。

 

繰り返していうが、

 

わたしはかの家族たちの批判をする気など全くないし、

 

幸せを願っている。

 

仮にあの子達がわたしの近所に住んでいたら、

 

不器用なわたしなりに気遣うだろう。

 

ただ、

 

今回まわりかかいま見せたヒステリーのような 暑苦しい「アイジョー」ってやつの 嘘の匂いが

 

好きではないし、これからも好きにはならないだろう。

 

 

 

 

 

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 何を言ってるんだ翼、、、

 

 

イラッ!をゆるす

DVDを借りていたのだけれど

 

どうやら1週間延滞してたみたいで、

 

なぜか

 

近所の区役所と

 

中央のセンターから、

 

最初の電話が来て

 

どういうわけか電話がまた4時間後に来て、、となって

 

両方親がとってしまったので

 

めっちゃキレてきた。

 

母はこういうのが大嫌いなのである。

 

「早く返しなさい!正しいのはどっち!?」とヒステリーを起こす母に

 

「自分がイヤなだけでしょ」とキレるわたし、、

 

そう、母は昔から「恥をかくこと」が大嫌いで

「正しいこと」が大好きなので

 

「正しさ」を守らない人を見ると

 

強烈に攻撃してくる。

 

母も2回かけてくる図書館のマヌケもマジで死んだらいいのに、、

 

だいたいメールもすっとばして

 

なんで2回かけてくるんだ、、?

 

バカじゃないのか、、

 

多分情報を連携してなくて、連絡済みということがうまく伝わってなかったのだろう、、

 

こういういろんな思考や

 

強烈な殺意をゆだねていく。

 

ただ、過ぎるにまかせる。

 

「こんなことを考えちゃダメだ」と抑えると逆効果なのだ。

 

そうしているうちに

 

「自分の安らぎを攻撃したい」という

 

「わたし自身」の激しい不安を感じた。

 

母の激しい不安はわたしの不安でもあったのだ、、

 

安らぎがすぐぶち壊される

 

わたしに安らぎなどないんだ、、

 

そういう呪いのような思考をゆだねていく。

 

そうしてるうちに平静な気持ちになってきた。

 

しかし、

 

他人にウンコを投げてすっきりする

他責型の母と

 

ひたすらウンコをためる自責型のわたしだと

 

だいぶ違うんだなーと思う。

 

というか、

 

自責型といえどこうして「他人にウンコ投げつけさせる」という

 

隠れた「他責」があるし

 

他責型も、よおおく聞くと、自分を攻撃する言葉が多い。

 

自分への見えない攻撃に反撃する形でウンコを投げるのかもしれない。

 

結局どちらも、殺意の表れにすぎない。

 

両方一緒なのだ。

 

そうしているうちに

 

なんだか、エゴが小さな子供に見えて来て

 

ギャンギャンうるさい母も

 

図書館の人も

 

なんだか幼稚園の子がしていることのような気がして、ゆるしてしまえる気になって来た、、

 

なにこれ不思議、、

 

とにかく、図書館に行ってくる。

 

 

 

ていうか

 

こっち引っ越してから、

 

もう1人も見ないだろう、、という割と悲痛な決心で←笑

 

今勇気出してアクセス観たら、、

 

け、け、結構きてんじゃーん!:(;゙゚'ω゚'):

 

前のアメブロとそんなに変わらないくらいきてる。

 

みんなありがとおーっ。

 

やっぱり、誰かが見てくれるって張り合いがあるなあ。

 

ここに日記みたいに書いている気持ちで

 

わたしはすごーく人の目が気になるので

 

もう、、

 

「自分のニーズに合わせて!」とか、マジ、もう、プチパニック。ワニワニパニック。笑

 

だってオレ書きたいの

コースのことだもーんっ!笑

 

ほんとは、イエス、マリア様、奇跡講座!!ってシャウトしたいくらい好きなんだもん!そのわりに浮気するけど笑

 

みんな願望実現のほうが好きでしょ?

 

引き寄せのほうが好きでしょ?

 

いじいじ(なんやねん)

 

とか思ってたけど、

 

あ、まさに、これが「わたしのほんとのニーズ」じゃん。

 

わたしもまさに

 

奇跡起こせたら楽しそう!

 

願望叶えたい!

 

お金もちになりたい!

 

あれもこれもやりたいな!

 

って動機で、忘れもしない、

 

北千住のルミネにあった

ナチュスピ版の

奇跡講座を開いたのが始まり。

 

そして野方の図書館で奇跡講座を見つけて

 

必死で住民票を移して

 

貸出券を作り読みまくり

 

その中で、中央アート出版から出てる

 

JACIMが監修した奇跡講座というものがあるのを知り

 

札幌に帰りなさいと渡されたお金で

 

八重洲ブックセンター

 

奇跡講座を買い(おじさんほんとごめん:(;゙゚'ω゚')::(;゙゚'ω゚')::(;゙゚'ω゚'):)

 

それを今までずーっと、

 

ホームレスの時も

 

バックパックの中に

大切に入れて持ち帰り

 

ずーっと持っている。

 

横浜の満喫に寝泊まりした時も

 

根津の森で寝た時も

 

日比谷公園で寝た時も

 

肌身離さなかった。

 

 

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(あら、2枚はらさった、。)

 

 わたしは、特に本については

 

欲しいといったら必ず手に入れる執拗さがあって、

 

ほとんど執念に近い。

 

多分知識欲が強いのだ。

 

あの状況の中で

 

大した危ない目にもあわず

 

みんなの助けを借りて

 

無事札幌に帰れたのは、

 

ネガティヴな考えを一切排除して

 

ただテキストを読み進めるのを

 

自分のやることにしていたから。

 

住所不定だと法律で、

派遣の仕事もできない。

 

風俗にいく勇気もない。

 

わたしはひたすらテキストを読んで

 

寝泊まりする満喫で、ワークブックを掲載してるサイトを見つけて

 

ワークをしたりしていた。

 

 

感情を大切にしようという言葉があるが、

 

みんな、本当に血管が切れるほど怒ったり

 

なげき悲しんだり

 

嫉妬で気が狂いそうになったり

 

「したい」のだろうか?

 

それについて正直に答えれば

 

「嫌だ、わたしはいつも平和で、喜んでいたい」というのが

 

飾らない本音じゃないだろうか?

 

そうなる、のは、「さておいて」、である。

 

「のぞみ」は、何なのだろうか?

 

ビンボーである。

「さておいて」、なにが「のぞみ」なのだろうか?

 

嫌いな人だらけだ。仲良くできない。

わかった。それは「さておいて」

なにが「のぞみ」なのだろうか?

 

喜怒哀楽が激しい。

わかった。それは「さておいて」

なにが「のぞみ」なのだろうか。

 

エイブラハムは、

 

「源(sourse)」の思考は決して変わらない

 

その、「源の思考」と

「わたしの思考」が

 

どれだけ一致し、調和してるか。

 

それが感情というバロメーターである

 

と言ったのだ。

 

感情はバロメーターである。

 

しかし、

 

ガソリン0メーターや

ガソリン10メーターを

慈しむのか?笑

 

みんな騙されている。

 

感情はバロメーターなのだ。

感情に振り回されることを「生きる」こととカンチガイしている。

 

無感情になれと言っているのではない。

 

その原因となる「自分の思考の不一致」まで思いを馳せているだろうか?

 

エイブラハムが言うことは

 

あなたと神の思考は合っているか

そのバロメーターが感情だと言うことである。

 

ちなみに、、、、

 

この捉え方は、かなり高度である。

 

わたしが心屋や子宮メソッドに出会って

 

感情を抑圧しなくていい

 

と実践して、わかるようになり、

 

そこから

 

よりエイブラハムの考えが理解できるようになった。

 

つまり

 

感情をバロメーターとして捉えるには

 

感情への激しい思い入れを捨てなくてはいけない。

 

自分で思うより、

 

ずっとずっとずっと、

 

わたしたちは、感情に思い入れがあり、

 

感情に執着し、

 

これこそ我!と思っている。

 

しかし実際には

 

喜びを恐れている。

 

ずっと喜べるのだとしたらどうしますか?

と問うと

 

自我は全力で抵抗する。

 

そんなものは人間じゃない

 

そんなものは喜びじゃない

 

と考える。

 

しかし、今まで本当に「生きて」いたのだろうか!?

 

本当に生きるということを

 

知っているのか

 

と言われれば

 

それは

 

「今までそうしてきたから、、」という

 

自信なさげな答えになるのではないだろうか。

 

しかし、

 

とにかく

 

やりつくす

 

ということが大切な気がする。

 

願望を実現したいならそうしていい。

 

喜怒哀楽を思いっきり味わい、

 

快楽を追求し

 

ジェットコースターのように楽しんだらいい。

 

そして

 

何かに行き詰まった時、

 

また門を叩けばいいのだ。

 

 

 

ゆうべすごくショックなことがあって

 

そのまま、小学校時代にずっと虐められてたことをまだぜーんぜんゆるしてない

 

みんな火炙りになってしね!

 

くらい、ものすごいおこりまくってるのを気づいて

 

号泣しながら寝たら

 

まったく寝れなくて

 

下半身丸出しの変な夢とか見た、、笑

 

下半身丸出ししてるのに、

 

なんか新しい家具をおっさんたちがニコニコ運んでくれる

 

変な夢だった。笑 

 

おとといから、

 

「お金があろうがなかろうが、とにかくエネルギーを循環させるのが

エネルギーセックスなんだなー歓びなんだなー」

 

と気づいて、やってみてから

 

宝くじがニアミスしたり

 

子供にじーっとみられたり

 

とにかく親切にしてもらえる。

 

そうしてると

 

「空間」が「わたし」なんだなーと思えてきた。

 

ずっとこの体までがわたしだと思ってきたけど、

 

行き交う人も画像みたいで、

 

嘘っぱちで

 

空間全体がゆらゆらたゆたってるひとつの空間みたいに感じて

 

すごくほっとする。

 

家でもできんじゃね?と思ったらやっぱりできる。

 

なんか、嫌なこと、イラっとすることを

 

どんどん明け渡していくにつれ

ほんとに、デヴィットの

「ゆるしは簡単」が「そうだなあ」と思えてくる。

 

だって、これ、批判を恐れず言えば

「わたしの」夢なんだから、、、

 

夢と言っても、突然来る親戚とはあいさつしなきゃだし笑

 

他にもいろいろそれはそれとして、やることはある。

 

でもまた、それはそれとして、

 

これは夢なのだ。

 

ゆうべ、全然別件なんだけど、

 

友達から「ありがとう」というメッセージが届いて

 

さすがに弱ったので

 

とても嬉しかった。

 

こんなに寝不足だけど二度寝しても眠いひとなので

 

普通に仕事に行ったけど

 

◯ に 十 のマークの、ピカピカのトラックが前にいて

 

トラックのウインカーと

 

わたしの車のウインカーが

 

ちょうどよく、カチカチ、カチカチ、と互い違いにリズムを刻んで

 

面白くて、なんだか慰められた。

 

エスからのメッセージに感じた。

 

「おまえのことを、こうして歩調を合わせていつも見ているよ」という、、 

 

前に宝くじ売り場で「見て見なさい」という声がした時

 

それは優しくてそして、笑っているような感じだった。

 

そしてオルガンの讃美歌のように

 

何層かのハーモニーとして聞こえた。

 

だからわたしは脅かすようなことや

 

自我を煽るようなヨイショをするようなことは

 

高位のスピリットはしないと思ってる。

 

今日はちょっとアメブロに戻りたくなった笑

 

なんだかさみしくなったのだ。

 

そういうのも、家路を戻り始めた

通常反応なのかもしれない。

 

もちろん願望実現にたらたら未練はあって、、笑

 

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なみちゃんの本まだ手元に残ってるし笑

 

 でも、時折

 

この、空間に満ちて、喜びをわかちあってるいい気分が正気で

 

今までがひょっとして おかしかったんじゃ、、

 

とすら思う。

 

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今日は龍がいた気がする。

 

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あ!そうそう!

 

ある支払いのことを考えてたら

 

うちにある、ばあちゃんの形見の指輪が

 

「めっちゃ」デカくなったかんじの「指輪」が、なんと 目の前に二つあった!

 

(もうひとつ銀にクリスタルのやつがあったけど、撮り忘れ)

 

また、それを心配するたびに

 

「二羽の」カラスにおどかされ、、

 

果ては、向かいから「強烈なサーチライト」を浴びせかける

 

「金と銀」の二台の車が!笑笑

 

わかったよ、、もうー!わかりましたよ!

 

「心配するな、コラァ!」ってかんじだった、、笑

 

22は「願いはもうすぐ叶うから心配するな!」という知らせらしい。

 

確かに

 

あれだけ男性への激しいトラウマの記憶を延々と見せられたら

 

「あ、多分お金のゆるしをやってるんだな、、」と思ったけど、、笑

 

オポノポノで、ヒューレン博士は

 

「お金の問題は、女性の男性への恨みの記憶が原因になってます」

 

と、言った。

 

インスピレーション第一の博士の言葉なので疑いはしなかったが、

 

やっと納得した。

 

お金とは、まさにセックスだ。

 

セックスの、まさにピュアなエネルギー領域、エネルギーの循環なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

あまやんのお花

めぐさんのブログや

 

ハルモニアチームのブログで

 

ちらり、ちらりと気になっていた

 

あまやんのお花を、ついにお願いしてみた。

 

https://ameblo.jp/cocoronihanawo59/

 

あまやんは仙台に住む、(今のところ)

無店舗のお花屋さんだ。

 

正直、

 

みんながあまやんのお花を褒めるのを

 

やきもきした気持ちで見ていた。

 

(さっき書いた「わたしもわかってよー!」状態だったのだが、、)

 

しかし、

 

あまりに美しいのと

 

何よりあまやんがどう見ても邪気のない

かわいらしい女の人で

 

記事にも邪気がなく

 

ただお花を愛しているのがよくわかったので

 

思い切った。

 

あとで、なぜこのタイミングだったのかな?と思ったが、

 

あまやんのお花がついたのは

 

夏至だった。

 

なぜか送る時にこうなり、一日ずれたらしい。

 

かえって嬉しいのに、おわびにと可愛いバラをおまけでつけてくれた。

 

ていうか、どー考えても、3500円の花束じゃないよっっ、あまやん、気持ちが豊かがすぎるよ、、!!

 

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とにかく隙間から出てくる、出てくる、、!!笑

 

そしてお花の包み方がとてもセンシティブというか、エロティシズムすら感じる清楚な美しさ。

 

すげー繊細だ。

 

やりとりの中であまやんが何回か電話をかけてくれたが、そういう繊細さゆえだとわかった。

 

そしてあまやんはちょっと面白い。

 

だいたい、ガサガサうるさい薄紙じゃなく

 

ちゃんと、うすい白の油紙を、茶色のざらざらした、パン止めにつかう針金で止めているのだ。

 

フランスっぽい。

 

とにかくもう声からしていい人である。

 

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シャクヤクは散ってもドラマティック。

 

ピンクドクターというやつらしい。

 

エロい。笑

 

どういうわけか、あまやんのお花が来るときだけ、札幌は肌寒く、お花にはいいコンディションだった気がする。

 

(温度変化が気になるので、クールではなく普通便で送るのだそうだ。)

 

少し前に

 

「自分用に、花束がほしい。

 

よくがんばったとねぎらいたい」

 

と感じた。

 

そのあとは放っておいたのだが

 

「なぜか」手が、あまやんのお花を頼んだのだ。

 

ちゃんと願いが通じていたのだと思う。

 

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というか、

 

この間みた「ピンクと黄色の、バラの花束みたいな咲き方のバラ

 

とも

 

色一致するじゃん!:(;゙゚'ω゚'):

 

ヒィィー!笑

 

あまりに色合いが美しくドラマティックなので

 

分けて生ける気にならない。

 

とにかく、このドラマティックさをしばらく楽しもうと思う。